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霜月文庫

確かな理論、確かな実践。

「海上輸送戦」補足~戦後・エンディング

戦時海上輸送 戦時海上輸送-「海上輸送戦」

はじめに

動画「海上輸送戦」の補足です。

海上輸送戦 第4部 by 霜月みかん 歴史/動画 - ニコニコ動画

海上輸送戦―戦時輸送船団小史― - YouTube

戦後

喪失船舶について

明確な数字は不明であるが、おおむね2,500隻、800万総トンの船舶が失われた[大井田 p.2][日本殉職船員顕彰会]。また、経済安定本部[p.81]によれば、汽船だけでも3,500隻以上の被害とされる。戦没した船と海員の資料館のホームページでは、この数値が引用されている。

船腹量については、開戦時630万総トン、終戦時100~200万総トン(うち、稼働できるものは半分?)程度である。[宮本 p.6][大井 pp.444-447][岩重 p.98][松尾 pp.58-59]

なお、このような数値を数えるとき、100総トン以上の船舶が対象になっていることが多く、それ未満の船舶については不明である。

GHQの海運政策

この項は、日本郵船歴史博物館の展示を参考にした。「日本郵船株式会社百年史」にも展示と同様の記述があったと思う。

戦時補償特別措置法

1945年11月、GHQが戦時補償の禁止を指令。1946年10月、戦時補償打ち切り[日本郵船 1971]。82社、25億円(当時)を越える額が打ち切られた[松尾 p.161]。

他の産業では、いかに徹底的な被害を受けたとしても、その被害率は海運業に比べて低いのみならず、土地その他に戦後立ち直りの基盤は残されたが、海運業にはその足掛かりさえ見当らない。[松尾 p.160]

民間還元とその後

1950年4月、船舶運営会が解散し、船舶の国家管理が終わる。これを民間還元という。なお、800総トン未満の船舶については、1949年8月に民間還元が実施されている。

「昭和27年(1952)までには戦前の定期航路への復帰もほぼ完了」した[日本船主協会]。日本郵船歴史博物館では、1953年に、戦前の航路をほぼ回復したという。

戦没者

引用元は以下の通り。

船員

日本殉職船員顕彰会より。

民間人・船砲隊・警戒隊・総計

大井田[p.8]より。民間人(船員除く)は「戦時船舶史」から引用されたものらしい。なお、動画では船舶砲兵隊と記述したが、船砲隊と書く方が一般的だと思う。

触雷・掃海での死亡者数

大井田[p.9]より。

エンディング

このエンディングを作るために、この動画を作ったと言っても過言ではない。事実、最初に作ったのはエンディングだった。

なお、写真は2016年5月8日に、観音崎公園で撮影したもの。

誤字

×さんるみす丸 → 〇さんるいす丸

参考文献

「戦中・戦後における喪失商船」(大井田孝 海事交通研究年報 第56集 2007)
太平洋戦争による我国の被害総合報告書」(経済安定本部 経済安定本部総裁官房企画部調査課 1949)
「戦時徴傭船の展開と被害の実態解明」(宮本三夫 海事博物館研究年報 37 2009)
「海上護衛戦」(大井篤 学習研究社 2001)
「戦時輸送船ビジュアルガイド2」(岩重多四郎 大日本絵画 2011)
「海運」(松尾進 有斐閣 1959)
日本郵船戦時船史 下巻」(日本郵船株式会社 1971)