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霜月文庫

確かな理論、確かな実践。

「海上輸送戦」補足~緒戦とニューギニア方面など

戦時海上輸送 戦時海上輸送-「海上輸送戦」

はじめに

動画「海上輸送戦」の補足です。

海上輸送戦 第1部 by 霜月みかん 歴史/動画 - ニコニコ動画

海上輸送戦―戦時輸送船団小史― - YouTube

南方作戦

第一段作戦の経過について。駒宮[1977 pp.42-83][1987 pp.27-30][1995 pp.5-35]、岩重[2009 pp.74-77]に詳しい。

これ以降、使用先別船腹量として登場する数値は、大井[pp.444-447]から引用したものであり、初出は船舶運営会。なお、動画での、大本営政府連絡会議で増徴を決定したなどといった記述は、「復刻版 日本商船隊戦時遭難史」によるものである。

船舶運営会

C船と呼ばれる民需の徴用船を管理する組織。なお、A船は陸軍徴傭船、B船は海軍徴傭船である。1942年4月1日に設立されたが、戦没した船と海員の資料館によると、実際に活動を始めたのは11日かららしい。徴用と徴傭の違いについては大井田[2007 p.2][2015 pp.20-21]に詳しい。

次のように、管理対象となる船舶の範囲は徐々に広がっていった。

  1. (1942年3月25日 戦時海運管理令)総トン数100トン以上の汽船、総トン数150トン以上の機帆船[船舶運営会 pp.67-68]
  2. 機帆船はその後1943年7月(略)70トン以上に引下[船舶運営会 p.92]
  3. (1943年)10月戦時海運管理令施行規則改正せられ、政府使用機帆船の最低トン数が総トン数150トンより50トンに引下げられた[船舶運営会 p.149]
  4. (1944年)9月11日、15総トン以上50総トン未満機帆船の国家使用実施[船舶運営会 p.164]

機帆船の対象総トン数がが70総トンから50総トンに引き下げられた理由は、70総トン未満の機帆船を建造する会社が多かったからだという記述をどこかで読んだ覚えがあるのだが、出典を忘れてしまった。ご存知の方は教えてくださると嬉しい。

なお、1945年5月1日には、海運総監部が国家の全船舶を管理することになり、船舶運営会は海運総監部の分室となった。

MO作戦

海上からのポートモレスビー攻略作戦。駒宮[1977 pp.98-101][1995 pp.39-40]、岩重[2009 p.78]に詳しい。

ミッドウェー作戦

ミッドウェー作戦(MI作戦)は、アリューシャン攻略作戦(AL作戦)と並行して実施された。解説している書籍・ウェブサイトが豊富である。本動画では、駒宮[1977 pp.86-93][1995 pp.40-43]、岩重[2009 pp.80-81]を主に参考にした。

ミッドウェー攻略を行うはずだった一木支隊は、その後、ニューギニア方面に使用されることになる。

ニューギニア方面

SN作戦

ガダルカナル飛行場設営部隊輸送。その後、「明陽丸」らが守備隊の増援を送り込もうとしたが、先にガダルカナル島に米軍が上陸した。[駒宮 1995 pp.45-46][岩重 2009 p.82,86]

リ号研究作戦

MO作戦が失敗したため、ポートモレスビーは陸上から目指すことになった。すなわち、オーエンスタンレー山脈の踏破である。[駒宮 1995 pp.53-56][岩重 2009 p.79]

ブナ輸送

ブナ(正確に言えばバサブア)への輸送作戦。多数実施されたが、「靖川丸」が参加した4つの船団の記録しか残っていない。[駒宮 1977 pp.101-106][駒宮 1995 pp.57-59]

ラビ攻略作戦

[駒宮 1995 pp.59-60][岩重 2009 p.86]を参照。

ガダルカナル強行輸送作戦

「戦力の逐次投入」として有名な一木支隊、川口支隊による攻撃はいずれも失敗。増強された米軍に対抗するため、大兵力の強行輸送を実施することになった。その結果は、輸送船の全滅であった。駒宮[1977 pp.120-157][1995 pp.47-52]、岩重[2009 p.82-85]に詳しい。

ガダルカナル戦での船舶の損耗は著しく、政府と統帥部との間で船舶割り当ての問題が発生。ガダルカナル戦の前では確保できていた民需最低必要量の300万総トンは、確保できなくなった[大井 pp.90-94]。そして、結局、民需用の船腹が300万総トンを超えることは今後もなかったのである。

ム号作戦

マダン・ウェワクの攻略作戦[岩重 2009 p.86]。駒宮[1977 pp.106-108][1995 pp.64-65]は、18号作戦の一環としている。

18号作戦

東部ニューギニアの米軍に対抗するための兵力輸送。2隻の輸送船を喪失したが、そこそこの揚陸成果を達成した。[駒宮 1977 pp.106-109][駒宮 1995 pp.64-66][岩重 2009 p.86]

なお、これに参加した「伯剌西爾丸」は「ぶらじる丸」とは異なる船である。

81号作戦

18号作戦に続く兵力輸送。輸送船8、駆逐艦8で構成され、約200機の飛行機が直衛にあたった。18号作戦並みの成果が期待されたが、輸送船全滅、駆逐艦4隻沈没という結果に終わった。これは、ダンピール海峡の悲劇、あるいは、ダンピールの悲劇と呼ばれる。[駒宮 1977 pp.110-119][駒宮 1995 pp.66-68][岩重 2009 pp.86-87]

このとき、米軍は航空機による反跳爆撃(跳躍爆撃、Skip Bombing)を実施している。[大内 pp.147-154]

アリューシャン方面

物資や兵員の輸送。岩重[2011 pp.66-69]、駒宮[1977 pp.281-283]を参考にした。

参考文献

「船舶砲兵 血で綴られた戦時輸送船史」(駒宮真七郎 出版共同社 1977)
「戦時輸送船団史」(駒宮真七郎 出版共同社 1987)
「戦時輸送船団史Ⅱ」(駒宮真七郎 自費出版 1995)
「戦時輸送船ビジュアルガイド」(岩重多四郎 大日本絵画 2009)
「戦時輸送船ビジュアルガイド2」(岩重多四郎 大日本絵画 2011)
「戦中・戦後における喪失商船」(大井田孝 海事交通研究年報 第56集 2007)
「軍人や軍需物資の輸送のみではなかった戦時中の商船」(大井田孝 海事博物館研究年報 43 2015)
「船舶運営会会史(前編)上」(船舶運営会 1947)
「海上護衛戦」(大井篤 学習研究社 2001)
「輸送船入門 日英戦時輸送船ロジスティックスの戦い」(大内健二 光人社 2010)