読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

霜月文庫

確かな理論、確かな実践。

「海上輸送戦」補足~多号作戦・南号作戦など

はじめに

動画「海上輸送戦」の補足です。

海上輸送戦 第3部 by 霜月みかん 歴史/動画 - ニコニコ動画

海上輸送戦―戦時輸送船団小史― - YouTube

全般

各船団については、駒宮[1987]、岩重[2011]を参考にしている。

サイパン上陸とその影響

サイパン島に敵機動部隊接近の報がもたらされ、1944年6月11日午前4時、在泊中の輸送船は本土あるいはパラオに向け脱出を図った。このうち、本土に向けて脱出した船舶(31隻)は艦載機の攻撃によって全滅した。パラオに向けて脱出した船舶(2隻)は、敵機の攻撃を受けたものの、沈没なしでパラオに到着した。また、遅れて午後6時に、本土に向けて脱出した船舶(5隻)は、攻撃を受けることなく無事に脱出できた。護衛など詳細については駒宮[1987 pp.192-193][1995 p.159]を参照。

米軍のサイパン上陸に際して、伊号輸送(岩重[2011 p.76]ではイ号輸送)を始めとする小笠原方面への兵力輸送が実施され、多数の被害を受けた。また、沖縄への兵力輸送も実施されたものの、「富山丸」が撃沈された。[大井 pp.279-280]

「富山丸」については、大内[2004 pp.337-350]や、[戦没した船と海員の資料館 カタ412]が詳しい。

フィリピン増援輸送

1944年7月9日にサイパン島は陥落した。また、7月ごろから年末まで、フィリピン防衛のために兵力輸送が実施された。この輸送には、ヒ船団やミ船団も利用され、ミ11船団[大内 2007 pp.160-165]、ヒ71船団[大内 2010 pp.160-169][駒宮 1977 pp.303-308]、ヒ81船団[大内 2010 pp.174-182][駒宮 1977 pp.322-326]などで被害を受けることになった。[岩重 2011 pp.78-79]

対馬丸事件

1944年8月21日、沖縄から内地への疎開者を乗せたナモ103船団が那覇を出港した。船団のうち「対馬丸」が撃沈され、学童700名以上を含む約1500名が死亡した。[対馬丸記念館]が詳しい。

ヒ72船団・マモ03船団

1944年9月6日にシンガポールを出港したヒ72船団と、10日にマニラを出港したマモ03船団が合同した船団。駒宮[1987 pp.246-249]、大内[2007 pp.72-86]が詳しい。船団の合同・分離や、「第1海上護衛隊戦時日誌」によれば「第18号海防艦」と「第18号掃海艇」とが途中で入れ替わるなど、複雑な動きをしている。また、この船団には捕虜も乗せられており、多数の死者を出している[岩重 2011 p.62]。

ハルゼー台風

1944年9月から、ハルゼー大将が率いる機動部隊によって各地で実施された空襲。9月にはセブ島[駒宮 1977 pp.177-183]、マニラ[駒宮 1995 pp.194-195]が、10月には沖縄方面、台湾が空襲を受けた。[駒宮 1977 pp.224-238][大井 pp.321-324][岩重 2011 p.92]

また、後述のグラティテュード作戦も実施している。

春風船団

1944年10月20日にマニラを出港したマタ30船団のことを、旗艦「春風」の名を取ってこのように呼ぶ。総トン数にして96%を失う被害[Wikipeida マタ30船団]を受け、また、輸送中の捕虜約1800名が死亡した。駒宮[1981 pp.51-61]が詳しい。

多号作戦

1944年10月26~27日、海軍部によれば「台湾沖航空戦・フィリピン沖海戦などの総合戦果は空母の撃沈破実に累計約40隻」とのことであった。これを受けた陸軍部は27日、「レイテ地上決戦へ」の転換を指導(発電)した[防衛庁 1970 p.304]。しかし、実際には米海軍はほとんど損害を受けず健在であった。そのような状況下で、29日、レイテ島オルモックへの増援輸送である多号作戦が発動された。なお、第1次輸送は作戦の発動前に実施されている。この作戦では、参加した多くの輸送船が撃沈された。また、11月13~14日にはマニラが再び空襲された[駒宮 1995 p.195]。本作戦には、輸送船や海軍艦艇以外にも、SS艇、大発、機帆船なども投入された。

駒宮[1977 pp.184-218][1995 pp.69-76]、岩重[2009 pp.90-93]に詳しい。また、防衛庁[1970 p.429, 494, 502, 514, 515, 536][1972 p.515, 554, 555, 563]も参考にした。

ヒ82船団

1944年12月12日にシンガポールを出港した船団。駒宮[1977 pp.240-243]、大内[2007 pp.47-56][2010 pp.182-189]に詳しい。

モタ30船団

1945年1月1日に門司を出港した船団。駒宮[1977 pp.233-237][1987 pp.323-324]、大内[2007 pp.59-71]に詳しい。ただし、駒宮は「羅津丸」が馬公に向かったとしているが、「久川丸」が単船で馬公に向かい、護衛の「第26号海防艦」が高雄に向かったことから、「羅津丸」は正しくは高雄に向かったと考えられる。また、護衛には「第112号海防艦」が参加したとされているが、このとき、「第112号海防艦」はマタ40船団に参加している。以上の海防艦の動向については「海防艦戦記」を参照した。

グラティテュード作戦

1945年1月に行われた広範囲にわたる空襲で、12日に仏印沿岸、16日に香港、21日に台湾が襲われた[駒宮 1977 pp.227-233]。この他には、15日に「みりい丸」が台湾の左営港で撃沈されている。さらに、ヒ86船団[大内 2010 pp.189-195]など、多くの船舶に被害を与えた。[大井 pp.360-369]

また、航空機によるヒ86船団の壊滅から、大船団主義は放棄されることとなった。[岩重 2011 p.96]

南号作戦

1945年1月から実施された石油を主とする南方資源の輸送作戦。特攻精神による突破輸送であり、潜水艦・航空機に襲われていくつかの船団は全滅した。第一陣である「せりあ丸」のヒ88A船団は、神機突破輸送隊と命名された。南号作戦は3月16日に中止され、南方資源輸送路は断絶した。南号作戦と並行して、航空戦艦「伊勢」「日向」による燃料輸送である北号作戦も実施された。駒宮[1977 pp.239-258]、岩重[2011 pp.96-97]に詳しい。大内[2007 p.44, 57, 58]も参考にした。

参考文献

「戦時輸送船団史」(駒宮真七郎 出版共同社 1987)
「戦時輸送船ビジュアルガイド2」(岩重多四郎 大日本絵画 2011)
「戦時輸送船団史Ⅱ」(駒宮真七郎 自費出版 1995)
「海上護衛戦」(大井篤 学習研究社 2001)
「商船戦記 世界の戦時商船23の戦い」(大内健二 光人社 2004)
「悲劇の輸送船 言語道断の戦時輸送の実態」(大内健二 光人社 2007)
「輸送船入門 日英戦時輸送船ロジスティックスの戦い」(大内健二 光人社 2010)
「船舶砲兵 血で綴られた戦時輸送船史」(駒宮真七郎 出版共同社 1977)
「昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)」Ref.C08030141500 p.23, 27
「続・船舶砲兵 救いなき戦時輸送船の悲録」(駒宮真七郎 出版共同社 1981)
「戦史叢書 捷号陸軍作戦〈1〉」(防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1970)
「戦時輸送船ビジュアルガイド」(岩重多四郎 大日本絵画 2009)
「戦史叢書 海軍捷号作戦〈2〉」(防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 1972)